日本が高度成長期を迎えようとしていた近年まで、出産時の酸欠状態が原因で何らかの障がいを負って生まれて来る赤ちゃんが少なくありませんでした。

そして、その一人が 土屋康文君 でした。

 

康文君が通う養護学校の担任であった 向野幾世先生 は、康文君の中に「健常者と呼ばれている人が、見えない、感じる事のできないものを持っている」と感じ、

康文君に詩を書かせてみるようにお母さんに勧めました。

そしていくつかの詩を発表しました。

何年か前のこと、私はあるほんの中で、強烈な印象を与える詩との出会いを経験しました。

今なお心の中に行き続けている感動とともに、私の心に焼き付いて離れません。

それは、重度の脳性マヒで、しかも短い15年の生涯を送った土屋康文君とお母さんの詩でした。

私たちが文章を書くのとは違い、身体の自由が利かない康文君が言葉を選ぶにも、その言葉を構成している字を五十音図の中から一つ一つウィンクのサインを出しながら、

字の書ける人に示していきます。

こうして出来たのが、次の詩でした。

 

<お母さん、ぼくが生まれてきてごめんなさい>

ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくはいう

 

ぼくさえ生まれなかったら かあさんのしらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを背負って歩く悲しさも、「かたわの子だね」とふりかえるつめたい視線にも泣くことも

ぼくさえ生まれなったたら かあさんのしらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを背負って歩くかなしさも

「かたわの子だね」とふりかえるつめたい視線に泣くことも

ぼくさえ生まれなかったら

この母を思いやる切ないまでの美しい心に対して、母親の信子さんも詩を作りました。

 

わたしの息子よ ゆるしてね

わたしの息子よ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき

ああ ごめんなさいと泣きました

いつまでたっても歩けないお前を背負って歩くとき

肩にくいこむ重さより「歩きたかろうね」と母心

”重くはない”と聞いているあなたの心がせつなくて

 

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを見守って お母さんは生きていく

悲しいまでのがんばりと

人をいたわるほほえみのその笑顔で生きている

脳性マヒのわが息子

そこにあなたがいるかぎり

 

このお母さんの心を受け止めるようにして、康文君は、先に作った詩に続く詩を作りました。

 

ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんがいるかぎり ぼくは生きていくのです

脳性マヒを生きていく

やさしさこそが大切で

悲しさこそが美しい

そんな人の生き方を教えてくれたおかあさん

おかあさん あなたがそこにいるかぎり

 

出生時に、康文君はあまりに重たい障がいを負わされた命でした。

親子でそんな人生と向かい合わざるを得なかった中から、脳性マヒを知った時、この先どうしようと考え絶望的になっても不思議ではありません。

しかし、この母親は違いました。

”ありがとう 息子よ

あなたのすがたを見守ってお母さんは生きていく

脳性マヒのわが息子 そこにあなたがいるかぎり”

と言って、康文君を覚悟をもって正面から受け止めています。

お母さんの並々ならぬ”受け止め方”はどんなにか康文君を安堵させた事でしょう。

それに応えて康文君は続けます。

”ありがとう おかあさん

おかあさんがいるかぎり ぼくは生きていくのです

脳性マヒで生きていく”

と返しています。

お母さんの覚悟で、康文君も自分の障がいをしっかり受け止めている事を詩の中に読み取ることができます。

更に、

“やさしさこそが大切で

悲しさこそが美しい

そんな人の生き方を教えてくれたおかあさん”

と続けています。

 

「悲しさこそが美しい」という感性は、様々な深い経験をした大人でもなかなか出てこない言葉です。

川端康成は「美しさと哀しみと」の著作の中で

「悲しいを美しいと思う感覚で捉えうる人はあまりいない」

と書いています。

 

あなたの家庭はどんな人間関係でしょうか?

包み込む愛で満ちているでしょうか?

障がい者福祉の働きは、真に悲しさと美しさが交差する深いい場所のような気がします。

そんな場所に身を置くことの幸せを日々感じています。

 

就労移行支援施設すずかぜ

施設長・講師 大城 豊